和歌山地方裁判所 昭和45年(ワ)326号 判決 1974年4月18日
原告 米田博臣
<ほか二名>
右原告三名訴訟代理人弁護士 良原栄三
同 富永俊造
被告 北出一光
右訴訟代理人弁護士 岩橋健
主文
被告は、
(一) 原告米田博臣に対し金二一万一、四四二円およびこれに対する昭和四五年六月二〇日から完済まで年五分の割合による金員を
(二) 原告大橋ミハルに対し金一三万二、〇〇〇円およびこれに対する昭和四五年六月二〇日から完済まで年五分の割合による金員を
(三) 原告斎藤百合子に対し金一三万二、〇〇〇円およびこれに対する昭和四五年六月二〇日から完済まで年五分の割合による金員を
それぞれ支払え。
原告らのその余の請求をいずれも棄却する。
訴訟費用はこれを三分しその二を原告らの負担としその余を被告の負担とする。
この判決は原告らにおいてそれぞれその勝訴部分に限り仮に執行することができる。
事実
≪省略≫
理由
一 原告らは、訴外米田正枝の実子であること、原告米田博臣は同女を同居させて扶養していたものであること、同女が昭和四五年六月一九日被告方を訪問したこと、被告が雑種犬(体長約九〇糎、体高約六〇糎)を保管していたこと、米田正枝が骨折により入院し、入院後全身衰弱を起し、昭和四五年七月二日午前八時五五分急性心停止により死亡したことは、当事者間に争いがない。
右争いのない事実と≪証拠省略≫によれば、
(一) 米田正枝(通称、定枝)は、明治三〇年七月二三日生れであるが、長男である原告米田博臣方に同居し同人に扶養されていたこと、
(二) 米田正枝は、昭和四五年六月一九日、午后零時三〇分頃町内の回覧用の印刷物を届けるべく同じ町内で約六〇米程隔った被告方を訪れたところ、被告の飼い犬である雑種犬(セパードによく似たオス犬、体長約九〇糎、体高約六〇糎)に吠えつかれ、後ずさりの恰好で被告方玄関先より歩道上に後退して来た際、体の右側を下にするようにして歩道上に転倒し、右大腿骨頸部骨折の傷害を受けたこと、
(三) 米田正枝は、右受傷の当日から月山病院に入院し、マジックベッドによる固定を受ける等の治療を受けたが、六月二一日午后悪感戦慄あり三八度五分に発熱し脈搏毎分一〇八と頻脈となるも、翌二二日には体温脈搏とも平静となる、入院後排便がないため、同月二四日グリセリン浣腸を受け排便するに至ったが、以後下痢を呈し、同月二五日発熱をみたが、翌二六日は下熱するとともに排便も正常となる、しかし、この頃より、不眠および食思不振があり、同月二七日より午后三七度二分の発熱があったが、翌二八日やや憔衰するも意識明瞭、心音清で呼吸音にも異常は認められず、同日より栄養補給のため補液(点滴静脈内注射)を受けるに至った、同月二九日依然として食思不振を訴えていたが、翌三〇日には一般状態が改善され、食欲も少し進み、七月一日には食欲もあり、一般状態改善され、気嫌も良くなり、右大腿部の疼痛も殆んど訴えないようになっていた、ところが、翌二日午前八時二〇分朝食摂取のため坐位になろうとしたところ、急に一般状態が悪化し、脈搏触知せず、呼吸も停止、瞳孔散大し、午前八時五五分死亡したこと、が認められる。
次に、米田正枝の右大腿骨頸部骨折と死亡との間の因果関係の存否について検討を加える。
前顕甲第一号証(死亡診断書)中には、死亡の原因欄に「イ、直接死因、急性心停止、ロ、(イ)の原因、全身衰弱、ハ、(ロ)の原因、右大腿頸部骨折」と記載されていて、あたかも、右大腿頸部骨折が原因となって死亡したものであるかの如き記載となっているが、死亡の種類欄には、「自然死」「外因死」の両方に一括して丸印が付されていて、その記載自体に一見して矛盾が認められる。≪証拠省略≫によれば、米田正枝は、入院後前判示のとおりの容態の経過を示したものであるが、最も容態の悪化した六月二八日においてすら、死亡の危険を感知させるような状態ではなく、特に、死亡の前々日である同月三〇日頃からは、快方に向い、食欲も出て来ておって、突如死に至るなどとは、主治医でさえ全く予測できないことであったこと、米田正枝は急激な心臓停止によって死亡したものであるが、これは、右大腿骨頸部骨折が直接の原因となったものではないこと、しかし、主治医である月山和男医師は、同女が突如急激な心臓停止に至ったのは、骨折により入院生活を余儀なくされ、家族から隔離されて孤独感に満たされ、また、周囲の他の患者からの影響その他種々の心因性要因も加わって、不眠、食思不振等を惹起し、漸次身体的衰弱を来して、血液の循環量ないし心筋の障害を招いていたところ、横臥位から坐位に姿勢を移すことによって、血圧ないし心臓の拍出量が急激に変わり、心臓停止を起こしたものと推定し、したがって、同女の右大腿骨頸部骨折は、直接的に死亡の原因となったものではないが、急激な心臓停止の原因となった全身衰弱を惹起せしめた一要因となったものであることは否定できないものと判断し、前記のとおり一見矛盾と思われるような死亡診断書を作成したものであることが認められ、これの反証はない。
したがって、米田正枝の死亡の原因は、死体解剖にでも付さない限り医学的には究明不可能であったものと推認される。しかし、もはや、死体解剖によって死亡原因を究明する術のない以上、前記判示事実から因果関係の存否を判断せざるをえないのである。してみれば、他に特段の反証のない本件においては、右大腿骨頸部骨折は、急激な心臓停止による死亡の間接的な一要因となったものであって、その間に因果関係があるものと判断せざるをえない。
被告において飼い犬として保管中の雑種犬が吠えついたことによって、同女が歩道上に転倒し、右大腿骨頸部骨折の傷害を負ったのであるから、被告は、動物の占有者として、民法七一八条一項により、同女の死亡により生じた損害につき賠償責任があるものといわざるをえない。
二 ≪証拠省略≫によれば、米田正枝は、昭和四四年九月一六日から同年一一月一三日まで老人性骨粗鬆症により治療を受けたものであること、老人性骨粗鬆症は、骨が、石灰の脱出により脆弱性を増し、器械的刺激に対し抵抗が減弱し、非常に骨折し易くなる症状であることが明らかである。したがって、米田正枝が、自ら歩道上に転倒することによって、右大腿骨頸部骨折という入院治療を要するが如き重大な傷害を蒙ったのは、同人が老人性骨粗鬆症という症状を呈していたという体質的要因に大きく起因するものと認めざるをえない。
民法に定められた不法行為に基く損害賠償責任は、そもそも、衡平の観念に立脚して、社会生活上発生する損害の分担を定めた規定なのであるから、不法行為と損害との間に因果関係の認められる場合においても、その発生した損害が、他の要因にも大きく起因していて、全損害につき不法行為者に賠償責任を課することが却って衡平の観念に悖る結果となると認められるときには、賠償責任の軽減を計ることが許されるものと解するのが相当である。
しかして、被告方の犬が、米田正枝に吠えついたこと、同女が転倒して右大腿骨頸部骨折の傷害を蒙ったこと、右受傷による入院中に全身衰弱を来したこと、急激な心臓停止により死亡したことの間に順次因果関係があり、結局、被告方の犬が米田正枝に吠えついたことと、同女の死亡との間に因果関係が存するものと認めざるをえないのであるが、同女が、右大腿骨頸部骨折というような重大な傷害を負ったのは、同女の体質的要因(老人性骨粗鬆症)にも大きく起因するものであること、および、右受傷が直接的に死亡の原因となったものではなく、間接的な一要因となったに過ぎないものであることに鑑みれば、同女の死亡に基く全損害につき、前記犬の占有者である被告に賠償責任を課するのは相当でなく、その結果に対する寄与の程度に照らし、損害額の二割についてのみ賠償責任を課するのが相当であると考える。
三 次に、米田正枝の死亡によって生じた損害について判断する。
≪証拠省略≫によれば、原告米田博臣は、米田正枝の入院治療費として六、二六〇円、同じく付添費として五、九五〇円を負担支出していることが認められる。
≪証拠省略≫によれば、原告米田博臣は、米田正枝の葬儀費として合計三〇万円余りを負担支出していることが認められるところ、右金額のうち金二〇万円のみを相当因果関係ある損害と認める。
以上の各損害合計額は金二一万二、二一〇円となるから、その二割に相当する金四万二、四四二円についてのみ、被告は賠償義務を負うこととなる。
四 原告らは、それぞれ、民法七一一条により、近親者としての固有の慰藉料を請求するので、考える。
≪証拠省略≫によれば、被害者米田正枝の入院後、被告の実母である北出清子が二日間付添看護に努め、その後は、毎日午后六時頃から翌朝七時頃まで夜間の付添看護をしたこと、被告方では、被害者の死後、通夜、葬儀に参列するとともに、金一万円の香典と金一、五〇〇円相当の供花を贈って弔慰を表していることが認められる。右事情と本件事故の態様、被告の本件不法行為の結果に対する寄与の程度、原告らの被害者との同居の有無その他一切の事情を斟酌すれば、被告に対し賠償を命ずべき慰藉料の額は、原告米田博臣については金一五万円、原告大橋ミハルおよび原告斎藤百合子についてはそれぞれ金一二万円が相当であると考える。
五 次に、弁護士費用について判断する。原告らは、弁護士に委任して本件損害賠償の請求をなしているものであるところ、他に特段の事情の認められない本件においては、原告らは、それぞれ、少くとも、右の各自の損害につき賠償を求めうべき額の一割を超える弁護士費用を要するものと認められるところ、右弁護士費用のうち、原告米田博臣については金一万九、〇〇〇円、原告大橋ミハルおよび原告斎藤百合子についてはそれぞれ金一万二、〇〇〇円のみを相当因果関係ある損害と認める。
六 よって、原告らの本訴請求は本件損害賠償として、被告に対し、原告米田博臣においては、金二一万一、四四二円およびこれに対する本件事故発生の日の後である昭和四五年六月二〇日から完済まで民法所定年五分の割合による法定利息の、原告大橋ミハルおよび原告斎藤百合子においては、それぞれ、金一三万二、〇〇〇円およびこれに対する同じく昭和四五年六月二〇日から完済まで年五分の割合による法定利息の各支払を求める限度において正当であるからこれを認容し、その余は失当であるから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法九二条九三条一項、仮執行の宣言につき同法一九六条一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 金澤英一)